「そんな根性があるのなら…… 次はちゃんと殺してあげるわ……」
クーカはリーダーの男に微笑んだ口元で答えた。しかし、微笑みかけられた男は俯いてしまった。
やっと、格の違いに気が付いたのだ。その様子を見たクーカは戦意は無くなったものと判断したらしい。拘束された少女の元にやってきて助け起こした。
「今、自由にしてあげる…… でも、目を開けないで数を十程数えてね?」
クーカは少女にそう呟きながら、拘束されている娘のロープをナイフで切ってあげた。
「……」
少女は黙って何度も頷いた。
「……きゅう……じゅう」
十を数え終えた少女が目を開けるとそこら中に腕や足を散らかした誘拐犯が転がっていた。もちろん、自分を助けてくれた少女の姿は何処にも無かった。
少女は血塗れになった工場から素足のままで逃げ出した。「た…… 助けて……」
そこを通りがかったタクシーの運転手に保護されて、警察が呼ばれたのであった。
「男の…… 被害者から証言は取れたのか?」刑事たちは幾つかの血痕後を検分しながら聞いた。
「男たちの方は出血が激しく重体の為、まだ証言は取れていません」
手帳に書かれたメモ書きを見ながら、ひとりの刑事が答えていた。
「女の子の方は、帰宅途中にいきなり車に連れ込まれたと証言してます」
救急車で病院に連れていかれる最中に簡単な尋問を受けていた。
「最近、ここいらで発生している連続婦女暴行グループのやり口に似てますね」
「しかし、連中は鋭利な刃物で切り刻まれている……と、やったのは誰なんだ?」 「被害者の女の子は一緒に居たんだろ?」 「声とか聞いていたんじゃないか?」工場内にいる刑事たちは口々に疑問を口にしていた。
「いいえ、彼女は男たちを襲撃した人物への質問となると固く口を閉ざしてしまいます」
少女への聞き取りをしていた婦人警官は答えた。
「自分は目を瞑っていたので、何も覚えていない……その一点張りですね」
婦人警官はため息を付いた。
「庇っているんだろうなあ……」
「はあ。 まあ、自分を助けてくれた恩人ですからね……」恐らくは満足な証言が取れそうに無さそうだ。未成年なので無理な尋問も出来ない。状況から見ても彼女の被害を未然に防いでくれたのは確かだ。
「工場の防犯カメラはどうだ?」
刑事の一人が壁際にあるカメラを指差しながら言った。
「駄目でした…… 電源が入ってませんでした」
監視カメラは何者かの手によって電源をおとされていたのだった。
「窃盗目的で工場に侵入…… 誘拐犯たちと鉢合わせしたので襲った…… なのか?」
防犯カメラを先に機能させなくするなどプロの犯行と思われた。しかし、被害者の話では少女風だという。益々なぞが深まってしまった。
誘拐犯を襲った犯人は皆目見当が付かない状態になっている。(迷宮入りしそうだな……)
そう感じた刑事たちは全員ため息を付いた。
保安室の事務所。 その事務所は都内の雑居ビルに設けられていた。 名目上は公安警察の組織だが、内閣府の国家公安委員会から直接命令を受けて動く。 正式名称は国家保障安全室だ。 もっとも、公安警察内部でも島流し部署と言われる事が多く、所属する人物も一癖も二癖もある者ばかりだった。 保安室には室長の田上哲也(たのうえてつや)をトップにして全部で八名の人間がいる。 ボンヤリとした部署名から分かる通り、元に居た組織からはじき出された人物たちが勤務している。元の組織では色々とやらかしているので扱いにくい、かと言って世間に放して好き勝手やられても困るので宛がわれているのだろう。 ここでは、日本の安全保障に対しての脅威となる人物団体などの情報収集が主な任務の部署だ。 よその国ではCIAを始めとする諜報機関が担うべき任務だが、何故か日本には存在していない事になっている。そこで公安警察や保安室が業務に当たっているような感じだ。 その活動内容から目立った建物では色々と不味く。マスコミの目を避けるためにも雑居ビルが使われていた。 事務所自体はビルのワンフロアを借り切っているので人数の割に大きい部類だ。 片側の壁にはびっしりと大型ディスプレイが設置され、要注意人物とマークされた者の行動が表示されていた。 その保安室の構成員である先島は古参に属する部類だ。 先島は百ノ古巌(モモノコイワオ)の手帳を眺めていた。先日水死体で発見された人物だ。「お前は何をしに舞い戻って来たんだ……?」 チョウの電話番号を指先で弾いてから手帳をパタンと畳んだ。他に何か無いかと鞄の中を漁ってみたが空振りだった。(また、武器取引でも始めているのか?) かつての取引に使われていた番号。その番号の移動記録を元に追跡調査を行い、あと一歩の所で取り逃がした経験を思い出していた。(狡猾なアイツが危険を冒すとは思えないんだがな……) それが活性化したという事は、チョウは再び取引を行おうとしているに違いないと踏んでいた。だが、同じ番号を使い意味がわからなかった。監視対象にされているのはチョウも気が付いているはずだ。(それとも何かの罠なのか……) しかし、それが何なのかさっぱり分からない。 先島は室長にチョウの調査を具申していた。組織に属している以上は好き勝手は出来ない。「まず、チョウと同
「奴の所属していた北安共和国の諜報機関は、個人それぞれが独立して動いています」 画面はチョウのプロフィールが映し出されていた。「その中でもチョウは高額の取引を行ない、共和国への献上額が大きいので優先的に便宜を図られていたようですね……」 先島は自分が覚えているチョウのプロフィールを幾つか言った。「共産主義者得意の末端組織の細分化って奴か……」「一人が逮捕されても芋づる式に検挙されないようにする為ですね」 室員たちが口々に話していた。「奴の取引の得意先は何処なんだ?」 室長が先島に質問して来た。チョウを追いかけていた先島が一番詳しいと考えたからだ。 画面はチョウが関連していると思われる一覧に切り替わっていた。「暴力組織や過激派、中には宗教団体もありましたね」 元々、チョウは武器のブローカー。世界中の紛争地に武器を配給している死の商人だ。 その伝手で様々な非合法の物を日本に持ち込んでは売りさばいていたのだ。しかも、自分の足跡を残さずにやってしまうので尻尾を掴ませないのも有名だった。「ああ、あの毒ガスを使ってた宗教団体……」 沖川みきが呟く。彼女が保安室に配属された時に、友人が毒ガス散布に巻き込まれて死んだと言っていたのを思い出した。。「ええ、検挙される前に宗教団体の代表は交通事故に遭って死にましたがね。 状況から見て私は暗殺されたと考えてます」 藤井がそう言って振り返ると、何故か先島が俯いて頭を掻いている。他の何人かの室員たちもそっぽを向いていた。彼らが何がしかに深くかかわっている感じを受けたのだった。「動きのある過激派や暴力団の情報を貰って来た」 翌日、室長が公安からの情報を携えて室内に入って来た。「三つの監視チームを編成してチョウの足取りを追う事にする……」 室長は動きが監視対象を3つに絞り込んで監視するつもりだ。それから一つにして検挙を行うのだろう。「宮田と加山はヒコマル派を担当しろ」 ヒコマル派は1970年代安保闘争で有名になった組織だ。日本各地の交番や銃砲店を襲って何人も死傷者を出していた。しかし、余りの過激さに学生たちからそっぽを向かれて組織自体は衰退している。だが、今でも生き残っている幹部たちは武装闘争の夢を諦めないでいるらしかった。 幹部の一人が北欧で北安共和国の重要人物と接触していたらしい。「久保田と
乗用車の中。 関東右山組の駐車場を見張っている先島と青木。狭い車内で時々体制を変えながら目を光らせている。「監視チームの部屋を貸してもらえると助かるんですがねぇ……」 朝から何度目かのボヤキを青木が言った。 二人は挨拶には向かったのだが、けんもほろろに追い払われてしまった。「それにして、あんなに邪険に扱わなくても良いだろうに……」 まだ、ブツブツと文句を言っている。「まあ、あちらさんも事件を横取りされると思ってたんじゃないか?」 そんな青木に苦笑しながら言った。 先島自身、向こうが検挙寸前に待ったをかけた事が何度かあった。潜り込ませた内部通報者を守る為だったが、そんな事情は一切説明はしないので結構恨まれたりしたものだ。「まあ、ミニパトを呼ばれないだけでもめっけもんだよ」 先島が苦笑しながら言った。 公安警察の張り込みだろうと普通乗用車を使うので、知らない人が見ると不審者が停まっているように見える。 以前に別の事件を追いかけていた時。所轄警察の捜査をジャマしてしまったらしく、嫌がらせのようにミニパトに職質された事があった。偶然などを信じない先島はわざとやられたに違いないと踏んでいた。「青木は張り込みには慣れていないのか?」 先島は軽く欠伸をしながら返事をする。「僕はスリーパーを作るのが仕事でしたから……」 スリーパーとは内部通報者だ。普段は何もしないが何か問題が起きそうな時にはこっそりと通報してくるのだ。仲間を裏切るように仕向けるので結構難しい仕事だった。 青木は何度目かのカメラの動作チェックをしている。身体を動かしていないと寝てしまいそうだからだ。「ああ、工作が専門だったのか」 公安警察内部にも色々と部署がある。横の繋がりは無いに等しいので、同じビルに居ても挨拶すらしないのも珍しくは無い。 仲良しこよしの組織では無いので、お互いに不干渉が鉄則なのだ。高度な機密情報を扱うので、全体を掌握する上層部以外は情報を共有しない。「ええ、先島さんも似たような感じでしたでしょ?」 青木が聞いて来た。「ん、俺はもうちょっと汚い方だったな」 先島が少し笑いながら答えた。 先島は内部通報者を育てたり、監視対象が自滅する工作を行ったりしていた。「ははは、五十歩百歩でしょ」 青木はそう言って笑っていた。「自分はですね…… 南安共
ブーーーンッ 先島の携帯電話が震え、電子メールの着信を知らせて来た。仕事柄、入電やメールで電子音を鳴らす訳には行かないのだ。『チョウが現れた模様』 保安室で留守を預かっている藤井からであった。 彼女は日本中を流れている電子情報から、チョウに関わる事柄を探り当てたようだ。(さすがだな……) 自分でもある程度はコンピューターの操作はやるが、専門家である藤井の方が遥かに上だった。 僅かな手懸かりから真実を暴き出す。 電子メールには画像が添付されていた。車の横に立つチョウが写っている画像だ。そのチョウの向かい合わせには、面相のよろしくない御仁が写っている。関東右山組の面々であろう事は一発分かる画像だ。「俺たちの張り番が本命らしい……」 先島は青木に画像を見せた。「今、藤井が関東右山組の携帯電話を追跡しているそうだ」 続いたメールには複数の監視チームを付けると室長が言っていると書いて有った。「やはり、武器の取引なんですかね……」 薬物取引の可能性も有るが、関東右山組は関西にある暴力団と抗争している噂がある。銃火器が喉から手が出るほど欲しいはずだ。「インターポールによると、チョウはセルビアやクロアチアで銃を売り歩いていたそうだ……」 先島に分からないのは、何故日本に来たのかだ。(取引自体は部下に任せればいいんじゃないのか?) チョウには腹心の部下が何人かいるのを知っている。彼らに任せても支障はないはずだ。「へぇ、国際的な武器のブローカーなんですね」 青木は気の無さそうに車のエンジンをスタートさせる。一旦、自分たちの『会社』に帰る為だ。『会社』とは保安室の事、外出先では余計な詮索を避けるために『会社』と呼称しているのだ。「日本人は金払いが良いからね」 先島はそう言って苦笑した。「あちらに知らせなくて良いんですか?」 あちらとはマンションの一室を借りているマルボウの監視チームだ。「向こうは自分たちでなんとかするだろう……」 先島は軽く答えると車の発進を促した。一度、『会社』に帰って監視チームを編成し直す必要があるからだ。 彼の関心はチョウに向いている。犯人検挙の手柄争いには興味が無いのだ。(案外早くチョウに辿り着けそうだな……) 先島には過去の亡霊が蘇って来る感覚がしていた。 会社からの帰路の途中で先島は花屋に寄り道をし
埼玉県内にある自動車解体工場。「来ますかね……」 その日、何度目かの質問を青木がしてきた。「その内、来るだろう……」 先島は何度目かの返答を返していた。元々、張り込みなどと言うのは空振りの方が多い。その事を年若い青木は知らない様だった。 先島と青木の二人は、埼玉県内にある自動車解体工場の入り口を見張っていた。 保安室の室長はマルボウに気兼ねしたのか、チョウと関東右山組幹部との接触情報を知らせたらしかった。「ちょっと、アチラさんの手伝いをしてきてくれ……」 室長に呼ばれた二人はそう言い渡された。 見返りに彼らの関東右山組にいる内通者からの情報を知らせて来た。 埼玉県内にある自動車解体工場で何らかの取引が有るそうだ。取引の内容については不明。 『絶対に手を出すなっ!』との赤文字の但し書き付きでだ。身柄を持っていかれるのが嫌だとみえる。 自動車解体工場は外国籍の社長が営んでいるが、犯罪歴などは無く暴力団とのつながりは分からない。「分からない事だらけじゃねぇか……」 先島は嘆いていた。本当は過去の取引相手への聞き込みをやりたかったのだ。 しかし、今日は工場の監視したいので協力しろとのお達しだった。「まあ、お仕事は有難く頂戴しておくか……」 先島は誰に聞かれている訳でも無いのに独り言をつぶやいた。「はあ、そう言うもんですか……」 青木は気の無い返事をしながらスマートフォンの操作を行っている。「藤井さんの方からは何も無いと言って来てますね……」 保安室で留守を預かる藤井から、チョウの行動予測情報を得ようとしているらしい。現在は携帯電話の電源を切っているらしい。だが、万が一電源が入って基地局などに繋がってくれれば大体の位置が予測できるからだ。「何のつもりか知らないがチョウは身を隠そうとしていないようなんだ」 先島は自動車解体工場に通じる道の入り口を見ながら青木に言った。 青木がスマートフォンから顔を上げると、白い塗装のトラックが曲がって来る所だった。「あのトラック…… 怪しいな……」 先島が呟いた。何か特徴があるトラックでは無かった。長年のカンでそう思ったのだけだ。 先島の言葉に青木は反射的に望遠レンズ付きのカメラを構えていた。トラックの運転席には南米系と思われる彫りの深い外国人と、アジア系の薄い顔の男が見えていた。「正
先島の双眼鏡には、トラックのフロントガラスに小さいヒビが走っているのが見えている。 石がぶつかった程度では開かない穴も開いている。考えられるのは銃で撃たれた可能性だけだ。「運転手は死んだのか??」 トラックはそれなりの速度を出していた様だ。運転手は項垂れたままでピクリとも動かない。トラックはたちまちの内にコントロールを失い迷走を始めてしまった。「あれは…… 無理ですね……」 隣に座って居るチョウが、慌てたようにハンドルを操作しようとしているのが見えていた。 しかし、ハンドルに突っ伏した運転手が邪魔で操作できない。コントロールを失ったトラックは、そのままガソリンスタンドに突っ込んでしまった。「あっ!」 ガソリンスタンドには降り悪く給油中の車が居る。トラックはその車を弾き飛ばすように衝突してから停止した。しかし、どこかを損傷したのかトラックから灰色の煙が立ち上がり始めた。 不幸は重なるものだ。給油中の車から外れた給油ホースが油圧に負けて暴れまわっている。 通常なら給油ホースが外れた所で、配給が停止するようになっているはずなのに仕組みが動いていない。 辺りにはガソリンと思われる液体が振り撒かれていた。「不味いな……」 先島がそう思った刹那に、トラックの下から煙の間から赤い炎がチロチロという感じで見え始めた。バッテリーがショートしたのかもしれない。 嫌な予感は当たりたちまちの内に火が吹き上がり始めた。トラックは黒い煙と紅蓮の炎に包まれていく。「消防に連絡だ。 油火災だから水をかけるのは不味い……」 先島が言った。「はい……」 青木はカメラを膝に置いて電話を掛け始めた。しかし、電話をかける間も炎は広がりガソリンスタンドの屋根にまで届き始めた。 ガソリンスタンドの職員が消火器を抱えて出て来た。だが、炎を見て逃げ出してしまった。火の勢いに自力での消化を諦めたのであろう。弾かれた車の客に逃げるように手招きしている。 いきなりの事で唖然としていた客も、慌てて一緒に敷地外に逃げて行った。 やがて、ひとしきり大きな音がしたかと思うと巨大なキノコ雲が上がり始めた。衝撃波で車が揺さぶられている。 トラックの荷物が爆発したのであろう。「トラックの中身は何だったんだよ」 百メートル近く離れているのにも関わらずに熱さが伝わって来る。青木は舌打ちを
数日後。 藤井あずさは端末の操作をしつつ室長の様子を伺っていた。朝から機嫌が悪いのだ。 室長こと田上哲也(たのうえてつや)は五十二歳。少し早とちりの癖はあるが、海千山千の室員たちを良くまとめていると藤井は思っていた。 元々、田上室長は公安警察の人間で、ノンキャリアながらも出世してきた人間だった。何よりも警備警察や自衛隊制服組などとの人脈も多く上層部しか知らない噂などにも精通していた。「狙撃犯の情報は入って来ていないのか?」 室長が藤井に聞いて来た。「近所にある空き家内から狙撃されたらしいと言ってました」 監視していた先島たちの証言と写真画像などから狙撃地点は簡単に割り出せた。「物証や硝煙反応などは出ていないですが弾道計算ではここで在ろうと……」 藤井が表示させた画面には自動車解体工場付近の地図が表示されている。焼失したガソリンスタンドと空き家と見られる家屋が赤い線で結ばれていた。「距離は三百メートル。 移動しているトラックの人物にヒットさせてますから中々の腕前ですね」 標的が静止している射撃競技と違って、動いている標的を当てるのは至難の業だ。少々訓練を受けた程度は無理だ。「訓練を受けているプロの仕業か……」 室長は退職した警察や自衛隊の狙撃手なのだろうかと考えていた。「そうどうでしょうか? 自分としてはチョウを狙って外してしまったとも受け取れますが……」 先島は一緒に同乗していたチョウの表情を思い出していた。普段、動じないチョウが驚愕の表情を浮かべていたからだ。「トラックに積まれた荷物の隠滅をやりたかった可能性もあります」 トラックの荷物は硝酸アンモニウムだった。しかし、チョウが扱う荷物してはショボイなと先島は考えた。「ガソリンスタンドに突っ込ませたかったとか?」 爆発を目の当たりにした青木が言い出した。「うーん、あの車の運転手はごく普通の人だったけど……」 藤井は運転手への取り調べ調書を表示させた。犯歴無しの普通の会社員だった。ガソリンスタンドの経営者にも従業員にも不審な点は無かった。「付近の防犯カメラはダメなのか?」 室長が画面を見ながら言って来た。「田舎なので望みが薄いですね……」 藤井は拡大した地図を表示させた。自動車工場付近には田畑が多く、防犯カメラの設置が期待できる建物が少なかったのだ。「狙撃犯を知
「お前さんがまた勘違いしてるみたいだからな」 チョウはせせら笑いを浮かべながら言った「また?」 先島は怪訝な表情を浮かべて訊ねた。「ああ、トラックの事故だよ」 くっくっくと引きつったような笑い声を出すチョウ。「あの狙撃は俺が狙われたと思っただろう?」「ああ……」「あの狙撃は俺ではなく、トラックの運転手を狙ったのさ……」 チョウは意外な事を言いだした。「そう言えば南米系の運転手だったな……」 先島は狙撃場面を思い出しながら言った。顎髭と濃い眉毛の運転手だった。「アイツは南米系組織の人間だったのさ。 ここの所はアイツと組んで仕事してたからな」 恐らくはチョウの武器先のひとつだろうと踏んでいた。 南米は米ロ中からの武器が豊富に流れ込んで来ているからだ。米国は麻薬撲滅のために武器を流し、中露は覇権を握る為に武器を流す。 犯罪組織は武器を手に入れる為に、それらの国に麻薬を流しているのだ。 よく因果関係が分からない国々だった。「そん時分にだが結果的に取引に失敗した事があるのさ。 まあ、俺がドジを踏んだんだよ」 チョウが薄ら笑いを浮かべがら喋った。「俺の始末を付ける為に、ある人物に依頼が行われた噂を仲間から聞いたのさ」 チョウは周りを見渡した。運転手が狙撃された瞬間にチョウが驚愕してた理由が分かった気がした。 噂では無く本当だと確信したからであろう。「なんで日本に来たんだ?」 そんなチョウに先島が質問した。敵から逃げて潜伏するのなら、銃器の入手が容易な国の方が有利だと思えるからだ。「アジア人が潜伏するのには具合が良い国なんだよ。 日本は……」 確かに共和国の仲間もいるし、チョウ自身の知り合いも居そうな感じだ。流ちょうな日本語を喋る事が出来るチョウにはうってつけだった。日本人は外国人に妙に親切だからだ。「ある人物っていうのは誰なんだ?」 先島が聞いた。恐らく狙撃犯の事だろうと思ったからだ。「ああ、お前さんはクーカと言う殺し屋を聞いた事はあるか?」 チョウが聞いて来た。先島は首を横に振った。まず、殺し屋と言う職種がなじめないのだ。時代錯誤も甚だしい。「そうか、なら忘れる事が出来無くなるのは保証するよ」 チョウは再び意地悪そうな笑みを浮かべる。先島が困るのが楽しくてしょうがないようだ。「世界中の国の治安機関が血眼で追い回
食品倉庫。 指定された倉庫は国道沿いにあった。そこは商店街からも住宅街からも離れている。ただ、高速道路の入り口が近いと言う理由で選ばれたらしい。 夜になると街灯と防犯用のライトに照らし出されただけの寂しい場所だ。 しかし、夜間だと言うのに門が開いていた。守衛所には人影が無い。(どうやら歓迎会の準備が整っているようなのね……) 歓迎会とは銃でお互いの健康を祝福し合う形式に違いないとクーカは思った。 門を抜け指定された倉庫に行くと扉の所に男が一人いた。体育会系なのかやたらと身体が大きかった。 なおも近づくと自分の後ろに二人付いて来ているのに気が付いた。もっとも、門の影にいるのは分かっていた。 わざわざ、姿を見せて待ち伏せしていたらしい。(愛想のない事……) 映画のように『良く来たな』ぐらいは言っても良いのにと思えたのだ。 ヨハンセンは電話での会話の中に合図を紛れ込ませていたのだ。それはトラブルの合図だ。 クーカが仕事に失敗した事など一度も無い。ヨハンセンが巧く行ったのかと質問する時には、自分がトラブルに巻き込まれているとの合図なのだったのだ。 彼女が探すと言ったのは、ヨハンセンを監禁した相手である。 身に降りかかる火の粉は根元から消してしまうに限るのだ。 扉の男は何も言わずに開けてくれた。扉の中に入ると後ろの男も付いて来ている。 倉庫は見た目が三階建てくらいの高さで、壁にはキャットウォークもある。倉庫の中は空っぽだった。二十メートル四方の少し暗め空間が開かれていた。 クーカは倉庫の中から漂ってくる殺気に気が付いていた。自分の正面には三人いる。彼ら以外からも気配はあった。(女が一人。その両隣に男が二人……) 男たちは武器を持っているのにも気が付いた。スーツを着ているが胸の部分が妙に膨らんでいる。それに、前ボタンを嵌めていないからだ。これは銃を持っている事を意味している。素早く抜けるようにだろう。(ヨハンセンのいけ好かないオードトワレは匂って来ないわね……) クーカの鼻は訓練で敏感に出来ている。聴覚と違って意識的に感度の上げ下げが出来ないのだ。 だから、香水やたばこの煙を嫌がる。(別の場所に監禁されているのか…… もう、何やってんのよ……) ヨハンセンは元傭兵なのだ。アチコチの戦場を渡り歩き実践も豊富のはずだった。 日本
保安室。 先島はクーカと遭遇した事を室長に報告していた。「で、本人はクーカだと認めたのか?」 室長はかなり怒っているようだった。それはそうだろう。 クーカは保安室全員で追いかけているテロリストだ。目撃したばかりか接触までしているのに確保しなかったからだ。しかも、報告したのが、取り逃がした後だからだ。「いいえ、認めた訳では無かったですね……」 先島は分かっているだけに何も言わなかった。何を言っても取り逃がした事実が覆される事は無いからだ。 しかし、本当の理由は別の所に有る。 クーカが廃キャンプ場で見せた表情と、国際テロリストの側面とが合わないからだった。 先島は全員が常識と考える事には懐疑的になってしまう部分がある。 それは組織の裏切りに散々な目に逢って来ているせいかもしれない。(きっと裏がある……) クーカほどの殺し屋を日本に呼び寄せた組織があるはずだ。そう先島は考えていた。それが何なのかを探る方を優先する事にした。(目先の事に囚われて本質を見逃すのはもうごめんだしな……) 先島は他の室員には何も言わずにクーカの調査を続けようと考えているのだ。「それで、何か対策は取ってあるんだろうな?」 そんな先島の思いを無視して室長が質問をしてきた。「はい、発信器を彼女の服に付けました」 先島はクーカの外套に発信器を付けたらしい。彼女の行動を分析して、彼なりにクーカを理解しようとしているのかもしれない。「藤井。 発信器三十六番の信号を辿ってくれ」 発信器と言っても十二時間程度しか持たない超小型のものだ。絆創膏みたいな薄型でどこにでも貼り付けることが出来る。しかし、都会などの電波を拾えるエリア限定だった。 先島はシートベルトを締める手伝いをする振りをしてクーカの外套に張り付けていた。「はい」 藤井が返事をして発信器の信号を辿り始めた。 発信器の電波は携帯の無線局を利用して収集出来る仕組みだ。そうすれば三角測定で大まかな位置が特定できる。位置が判れば付近の防犯カメラを利用して対象を探し出せるのだ。 もちろん、違法スレスレな捜査になってしまうが保安室の面々は気にしないようだ。「んーーーーー?」 藤井の指先が軽快にキーボードを叩いている。彼女にとってはいつもの作業だ。 しかし、馴れない人間が見ていると魔法の呪文を打ち込んでいる魔
「ああ、分かってる……」 とりあえず、返答してみた。我ながら間抜けな返事だと先島は思った。もっとも、気の利いた言葉がパッと出て来るのなら、もう少し出世できていたのかもしれない。「ああ、手伝うよ……」 シートベルトを締めるのに手こずるクーカを手助けした。「さっきはあの家族を巻き込まないでいてくれて有難う」 続いて、先島が意外な事を言いだした。クーカはビックリしてしまった。 ぱちくりとした目で先島を見詰めている。「何の事かしら……」 クーカは始めて逢った風を装っている。 闘い終わって褒められることは有ったが、闘わないのを褒められるのは初めてだったからだ。「ところで、日本では武器の所持は禁止されているんだよね……」 そんな先島が言い出した。「そんな物騒な物は持って無いわ」 クーカは助手席の窓を開けて外気を入れた。「自首するという手があるよ?」 先島が話を続けて来た。「何の罪で?」 クーカは素知らぬ顔で答える。「拳銃を持っていたじゃないか」 先程の駐車場での出来事を言っているらしい。「まあ、こんな愛くるしい少女に向かってなんて事を言うのかしら……」 クーカは取り調べを受けても平気なように銃は隠して来た。後で、回収に来れば良いと考えていたのだ。「しかも、殺し屋御用達の減音器まで付いていた奴だ……」 減音器の事を知っているのは流石だと思った。一般的な日本の警察官は銃には詳しくないと聞いていたからだ。「そんな物騒な物は持って無いわ……」 もちろん、減音器もククリナイフも一緒に隠してある。「俺に突きつけたじゃないか……」 クーカは先島を殺すつもりは無かった。そのつもりなら先島は車を運転する方では無く、載せられている方になるからだ。 銃を抜いたのは、先島の殺気に身体が反応してしまったせいだ。 自分でも拙かったと思っていたので、家族連れの接近を察知した時にすぐに退いたのだ。「突きつける? 何の事だか分からないわ」 依頼されても居ない仕事を、彼女はやらない主義だったのだ。それに目に見える脅威と言う程ではない。「あくまでも白を切るつもりなのか?」 先島がムッとし始めた。からかわれていると考えたからだ。もちろん、当たっている。「あら? それじゃあ私の身体検査でもなさる?」 クーカは自分のミニスカートを少しめくってみせた。
(しまったっ!) こちらの駐車場には来ないだろうと思っていたのだ。 先島に気が付かないのか普通に歩いている。きっと駅に向かうのであろう。 もちろん、先島はクーカと直接会った事は無い。 しかし、チョウが狙撃された現場に居た男の顔を彼女は知っているはずだ。 どうしようかと思ったが、ここで引き返すと益々不自然になる。 先島は知らぬ顔しながら、自分の車に戻る事にしたのだ。 クーカと先島がすれ違った。ふと、先島は何気なくクーカの方にに視線を向けてみた。「!」 なんとクーカは横目で睨みつけていたではないか。(ばれていたかっ!) やはり、クーカは先島に気が付いていたのだ。先島は咄嗟に振り向きざまに胸の銃を引き抜き構えた。「くっ!」 すると目の前に拳銃がある。しかも、減音器を付けた小型の拳銃だった。 クーカも銃を引き抜いていたのだ。「……」「……」 二人はお互いに銃を突きつけあったままで睨みあいになってしまった。(どうする……) 警察官の職務として、本来なら武器を捨てる様に勧告するべきなのだが出来ない。先に動いた方が負ける気がするからだ。 先島には無限に思える時間だったが実際は五秒ほどだ。 不意にクーカの目線が動いたかと思うと、自分の銃をさっさとしまってしまった。「?」 同時に先島の背後からなにやら賑やかな声が聞こえて来た。「……」 先島が振り返ると、どこかの家族連れがやって来る所だった。 子供二人を含めた親子連れだ。河原のバーベキューを楽しんで来たのだろう。 彼女が静かに銃をしまった理由が分かった。(無関係な人間を戦闘に巻き込むのは良しとしないのか……) 銃撃戦では狙いの逸れた弾や跳弾で普通の市民が怪我をする事が多いのだ。それは日本では考えられない事だ。 外国などの街中で銃撃戦が始まると、街をゆく人々は地面などに伏せるそうだ。 しかし、日本人だけはボォーっと突っ立て居るのだと聞く。身近に銃犯罪が無いので対処方が分からない弊害であろう。「ふぅ……」 先島がため息をついて振り返ると、クーカは歩いて駐車場を抜ける所だった。(応援を呼んで確保するか……) このまま行かせるかどうかを悩んでしまった。何しろ疑わしいだけでは逮捕できない。しかも、見た目は十代の少女だ。(まあ、それは…… 俺の仕事じゃないな……) 先島は
多摩川上流の川べり。 クーカは多摩川の上流に来ていた。インターネットで調べた廃キャンプ場跡に用がある為だった。 彼女は山奥に一人で来ていた。街中で焚火をするのは躊躇われるからだ。 ひとり焚き火をするのには訳があった。先日、海老沢から強奪した物ものを燃やしてしまう為だった。 廃キャンプ場跡であれば、人目も気にしないで良かろうと考えたのだ。 茶筒のような物の液体を捨ててから、中身を取りだして新聞紙にくるんだ。 それを焚き火の中に入れて、しばらくはジッと湧き上がる炎を見詰めていた。 薄く煙が空に昇っていく。それを風が攫って行っていた。 クーカの髪を風が撫でていく。それは幼い頃に分かれた母親の手のような優しさだ。「…………」 木々の間を抜ける陽の光。耳元をくすぐる様な暖かさに心が華やいだ。久しく忘れていた感覚だ。 クーカは風に誘われるように空を見上げた。トンビが遥かな高みを目指して飛び上がっていく所だ。(……あなたは風になれるの?) クーカは空を飛ぶ鳥に、心の中で密かに尋ねた。トンビは彼女の思惑など気にせず空を駆けてゆく。(自分にも羽が有ったら良かったのに……) クーカは風になりたかった。そうすれば何も考えずに済む。人の悪意に敏感な生活を送るのはウンザリしはじめているのだ。 暫く空を眺めている間に焚き火の火が小さくなった。クーカは焚き火に水をかけて消した。 消えた焚き火後を暫く見つめていたが、やがて踵を返して歩き去って行った。 その様子を見ている男が居た。先島だ。門田への事情聴取に来たのだが捗々しく行ってなかった。『彼女は男性に襲われたに等しいのですから……』 藤井にそう言われて、家から庭先に追い出されたのだ。男が居ると彼女が怯えてしまうと言われていた。 そして、庭先に出たところで煙に気が付いたのだった。(何だろう……) 煙が上がっている方に行ってみると、焚き火をしている少女がいた。 何となく気になって車に戻って双眼鏡を取りにゆき、木陰から不思議な少女を見てみた。(ん? ……泣いている?) 少女が目元を拭いて空を見上げている所だった。(煙が目に滲みたのか?) しかし、彼女の顔を見て驚愕した。 クーカだった。(本当にクーカなのか?) あれだけ探して見つからなかったのに、こんな人通り無い山中にいる意味が分からなか
保安室。「みんな集まってくれ……」 室長が部屋に入って来るなり室員を全員招集した。それを聞いた室員は三々五々、室長の机の前に集合した。「もうすぐ東京でG8外務大臣会合が開催される。 ついては国際テロリストであるクーカの所在を明確にせよとのお達しだ」 そこへ出席する欧州の政治家へのテロが心配されていた。つい最近にも欧州の有力政治家が暗殺されたのだ。 もっとも手口がクーカに似ているだけで、彼女の犯行である裏付けは何も無かったらしい。 そのクーカが日本国内に潜伏しているのは、自分たちの国の外相を狙っているのではないかと心配しているのだ。 もっともな意見だった。「我が国の威信が掛かっている。 各員は国内の過激派などの情報の収集に努めてテロを未然に防ぐようにっ!」 参加国の治安機関側から、自分たちに捜査をやらせろとせっつかれたらしい。もちろん、日本の警察のメンツにかけてもそのような事は許すつもりは無い。 だが、CIAからの要求は執拗だった。クーカは自分たちの資源なので勝手に手を出さないようにと繰り返して言って来たのだ。(日本の治安機関の一つである我々がクーカの事を知るや遠慮しなくなった……) その割にはこちらの頼み事を聞かないでは無いかと言いたかったが室長はグッと堪えていた。 彼らの持つ情報網は魅力的だからだ。(恐らくはこちらへの根回し無しで勝手に暗躍してるんだろうがな……) 『失敗したら知らなかった。成功なら成果は自分たちに寄越せ』は彼の国の傲慢さを表していた。 室長はあの組織の怖さも知っているし、利用の仕方も心得ているのだ。「まあ、会場周辺や宿泊施設などの調査は警備警察の役割だ。 そこで、我々はこの事件を追いかける……」 室長が藤井に合図を送った。 画面に閉鎖された工場で起きた未解決事件が表示されていた。「この事件の特徴は被害に遭った男性三人が鋭利な刃物で切られている所です」 犯行現場写真が映し出された。そこには壁にまで飛び散る血痕と主の居ない右手が一つ転がっていた。「二人は出血多量で死亡しましたが、生存者がひとり残っています」 死亡した二人と生存者の写真が表示される。生存者はリーダー格の男だ。「彼は頭のイカレタ女に切られたと言ってます」 リーダー格の男はまだ入院したままのようだった。「頭のイカレタ女?」 室長が藤
(素人以下の集団ね…… 戦闘に集中しなさいよ……) 手厳しいクーカの評価であった。クーカは無表情で階段の下に転がり落ちて来た男に止めを刺した。(これで十四人…… 全部かな?) クーカは小首を傾げてから台所に向かった。大概の家のブレーカーは台所に有るからだ。 本来なら屋敷の灯りを消してから、中の人間を始末するのが効率が良い。 だが、先に敵が油断していたので順番が逆になってしまったのだ。 ブレーカーを落とすと屋敷の灯りが一斉に消えた。「!」 男の部屋の電気がいきなり消え、窓からの月明かりだけになってしまった。 男の名前は海老原。ここの屋敷の主だった。「だ、誰だっ!」 海老原が声を出すと漆黒の闇の中からクーカが姿を現した。「……貴方を探しに来たわ……」 クーカの目が冷たく光って見えた。「おおおい、居るぞ。 居るぞ。 ここに居るぞっ!」 海老原が受話器に向かって怒鳴りつけていた。しかし、相手から返事が返って来る事は無い。「何をしてるの?」 その行動を不思議に思ったクーカは首を傾げながら訊ねた。「……」 誰も応答しない受話器をチラリと見る海老原。「探したのはこの部屋が最後なのよ?」 クーカの外套の裾からキラリと光る大型ナイフが見え一歩近づいた。「ま、待ってくれっ! お前の望みの物を俺は持って無いっ!」 海老原は銃を机に置いて手のひらを見せた。武器を持たない相手を攻撃しないとの噂を聞いていたからだ。「どういう意味?」 クーカが歩みを止めた。「う、噂を聞いていたんだ……」 海老原はシャツを捲って、自分の腹にある真新しい手術跡をクーカに見せた。「……」 クーカはそれを見て黙り込んでしまった。「どこにあるの?」 だが、取り出したのなら何処かにあるはずと思い当たった。「れ、冷蔵庫の中だ……」 海老原は部屋の隅に有るカウンターバーを指差した。「そう……」 クーカが頷いたのを見ると、海老原は自分でカウンターバーの中に入り何かを開けていた。 普通ならば海老原が何か武器を取り出すのを警戒する所だ。そして、銃なり武器なりを構えるものだ。 だが、クーカはそれをしなかった。 海老原の動作は中年男のもので非常に鈍かったのだ。 彼女なら爪楊枝ひとつで海老原のいのちを頂戴する事が出来るだろう。 つまり、海老原は脅威では無いと
(これが終ったら探しに行かなきゃ……) ヨハンセンは無事に逃げたのだろうかと考えたが直ぐに頭から追い払った。(あの男が簡単に死ぬわけないわね……) 屋敷の奥に向かおうとすると部屋の一つが賑やかな事に気が付いた。 ドアに耳を着けて様子を伺うと何人かいるらしい。『どんなゴツイ殺し屋だか知らねぇが、これだけの人数相手には敵わねぇだろ』 誰かがそんな事を言っている。賛同するかのような笑い声も聞こえて来る。(ゴツイ殺し屋って…… こんな可憐な乙女を捕まえて失礼ね……) 可憐だが『非常に危険な』乙女のクーカは小鼻に皺を作っていた。怒っているらしい。 いきなり部屋の両開きドアを開けた。 その部屋には六人程いるのが見えた。人数と男たちの位置を確認したクーカは部屋に飛び込んだ。「えっ!?」 いきなり部屋のドアが開いたかと思うと、女の子が飛び込んで来てビックリしない人間は居ない。 それは数秒間の空白を生んでしまった。その初動の遅れを男たちは自分の命で支払う事になる。 クーカはこういう強襲の時には相対する人物は全て始末する事にしている。 武器所持の有無を確認している手間が惜しいからだ。それに情けをかけてやる義理も無い。 まず、入り口に付近に居た男の首を撥ね飛ばした。男は立ち尽くしたまま首から鮮血を吹きださしている。 クーカは次の目標に狙いを定めようとした。しかし、奥に居た男が立ち上がるのが見えた。「誰だてめぇわっ!」 怒鳴り声が聞こえて男が何かを構えた。 カラシニコフ。ロシア製で頑丈なだけが取り柄のアサルトライフルだ。しかし、弾丸の発射速度が速く中々厄介な代物だ。 男はフルオートでクーカに向かって弾丸を送り出し始めた。クーカの周りに木の破片が舞い始める。 クーカは射線から逃れるべくジャンプして壁に取り付いた。 そして、そのまま壁を走るかのように伝って自分の銃を構え連射する相手に連射した。 壁に取り付いたのはカラシニコフを構える男の間に二人男がいたせいだ。 二人が邪魔で射線を確保できないしナイフで切り刻むにも距離がある。 まず、自分にとって脅威になる敵を屠るのは近接戦闘のセオリーだ。 カラシニコフを構えた男はクーカの連射を腹に受けて前屈みなってしまった。 しかし、引き金から指を話そうとしなかったので連射が続いてしまった。「ぐあああ
洋風の屋敷。 ヨハンセンから入手した情報ではここの家の主が該当者だ。 屋敷は洋風で二階建。 結構広いので該当者を探すのが大変そうな印象を受ける。 しかし、こういう屋敷に住む人間は玄関から遠い部屋に居ると決まっている。 きっと、襲撃者を恐れているのだろう。(怖いのなら最初から大人しくしていれば良いのに……) 世界中の財界人や犯罪組織の首領を襲ったが、何故か共通して奥の部屋に居るのが不思議だった。(まあ、全員やっつけるから関係無いか……) そんな事を呑気に考えながら隣家の屋根の上へと跳躍した。屋敷内を観察する為だ。 何より防犯カメラを隣家に向けている人は少ないのもある。 屋根の上から見た限りでは庭先に二人ほど居た。片手を懐に入れたままで懐中電灯で辺りを照らしながら警戒している。(懐には銃を持っている…… 屋敷には見えるだけで一階に三人、二階に二人…… 屋根の上に無し) 動き回っているのが七人なら、その倍の人数がいると考えるべきだとクーカは推測した。 敵地の強襲は偵察の優劣で決まると訓練で教わった。彼女は極めて優秀な偵察兵でもあったのだ。 クーカは観察を終えると屋根の上から跳躍して、洋館の壁と庭の樹木の隙間に着地した。 庭に着地したクーカは音も無く移動して庭樹の陰に隠れた。そして、庭の見張りが自分から一直線上に来るのをまった。「!」 彼らが並んだと思った瞬間に木の影から飛び出し、ククリナイフで彼らの喉と懐に入った腕の腱を切断した。 見張りの二人は何か黒い影が横切ったと見えたのが最後の光景となってしまった。 二人を切った後、クーカはその場にしゃがんで屋敷内の様子を伺った。 ジッとしているのは、彼女の黒い衣装はパッと見には分かりづらいからだ。(見つかってない……) そう、判断したクーカは屋敷の窓から侵入した。玄関には誰かしらいるのは自明の理だからだ。 廊下の角の所に男がいる。本人は巧く隠れたつもりらしいが足先が見えていた。 こちらの接近に気が付いて角を曲がった所で襲う腹であろう。 クーカは無言のままスタスタ歩き、懐から減音器付きの拳銃を取り出した。グロック26。 小柄な彼女が握った時にしっくりと来る大きさの銃だ。「……」 彼女は躊躇する事無く男の爪先を撃った。「あぐっ!」 爪先に走る激痛に男は思わず前屈みになっ